シン・エヴァンゲリオン劇場版 感想

今日(2021年3月30日)、シン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきました。エヴァは旧アニメシリーズ、旧劇は中学生の頃に、新劇は公開と同時に視聴してきました。ここまできて見に行かないのはおかしいかなと思って足を運んだのですが、今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版は払ったお金の価値はあったと思わせてくれる良い作品だったと思います。

シン・エヴァンゲリオンを見た感想としては、旧アニメシリーズにおいてエヴァンゲリオンが打ち立てた「セカイ系」というジャンルを壊してしまおうという意思を強く感じました。セカイ系というのは、「世界」の運命と「僕、私」の関係が中間の組織や仕組みを抜きにして直接影響しあうという構図、及びその構図の元で作られたアニメ・漫画全般を指します。作中に、「Q」で起こったサードインパクトを生き残った人たちの村が存在し、一時的にエヴァパイロットたちがそのメンバーの一員となって暮らすのですが、そうした「守るべき世界」をきっちりと描くということをあえてしなかったのが旧作品の当時における「新しさ」であったと思います。そうした当時においては新しい試みから、逆方向へと舵を切り、シン・エヴァンゲリオンは本当にオーソドックスなロボットアニメとして見れる作品になったと思いました。ただ、「セカイ系」及び旧作品におけるある種の「気持ち悪さ」みたいなものも払拭されてしまっており、エヴァにそういうものを期待していた人は少し拍子抜けするかもしれません。

映像的には、庵野監督が本当に特撮が好きなことをいろいろな場面でひしひしと感じました。特に、最終盤におけるシンジとゲンドウの喧嘩シーンで、エヴァが蹴とばしたビルがまるで段ボールで作ったオモチャのようにスライドしていったシーンは、あえてやっていると分かっているのですが爆笑しました。「そうはならんやろ」っていうやつですね。

ストーリー的には、裏事情や背景設定を想像するのが好きな人に対する配慮は最低限にして、単純に熱くなれるようなストーリーラインに、これまでの作品と根本的な矛盾だけは起きないように細心の注意を払いつつ、申し訳程度の前作とのつながり要素を入れたという感じでした。結果、ヴィレのおかっぱの子とマリが異常に目立っていました。作中でマリがシンジに自己紹介するシーンがあったのですが、あれには爆笑しました。そういや君たち自己紹介していませんでしたね、っていう感じで。プロットどうなってるんだ、ガバガバすぎるだろ! まあ、旧作にもいたキャラクターは設定がガチガチで自由に動かせなかったんだと思います。いきなり原作改変して批判された映画はたくさんあり、エヴァは人気作品でありファンの数が多く、かつめんどくさいファンも多いので、無理やりまとめるにはしょうがなかったのだと思います。個人的にはストーリーは勝手にこちらで補完すればよいので、文句はありません。ただ、最後のシーンの意味は少し難しいですね。現実と虚構を区別しろといいながら、ネット社会の発達で、我々は実際には現実と虚構が混ざり合った社会に生きてしまっている。それに対する答えは作中ではっきりとは示されませんでしたね。あと、シンジ君は1995年に14歳なのだから、2021年の今は40歳だと思うのですけど、新劇基準で年齢設定したっていうことですかね?

最後に個人的な感想としては、綾波レイ及び碇ユイに対する断罪もきっちりして欲しかった。彼女たちは傍観者ではありえないと思います。しかし、彼女達は神といっても機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナであり、舞台の上での神はゲンドウで、ゲンドウと決着を付ければそれで充分だと考えたのでしょうね。ゲンドウ及びカヲルの回想シーンがかなり長かったのも、庵野監督がここが本命だと考え、多少冗長であるのを覚悟してきっちり、二度と復活しないように落とし前を付けたということなのだと思います。

それでは。