8/11-13 ボードゲーム(&TRPG)旅行

高校時代の友人4人と、山形蔵王に行って2泊3日でボードゲーム旅行をしてきました。春に越後湯沢行った時と同じメンバーです。
今回は「アリアンロッド」のTRPGがメインでした。アリアンロッドは「王道ファンタジー」をモチーフとしたTRPGらしいですね。
日程
1日目 
午後 キャラシートの作成
2日目
午前 モノポリー
午後 TRPG


TRPGをやっていて、「命中判定」という要素がとても興味深かったです。というのは、TRPGのような全員がパーティーを組むタイプ(対戦するのではない)タイプのゲームだとすごくゲームを盛り上げるのに役立つなあと。しかし、対戦ゲーム、特に競技としてのゲームでは命中判定は運による勝利を引き起こしてしまうのであまり好まれない印象があります。
やってみて思ったのは、GMの「こういう流れにしたい」みたいなのについていくのは大変だなあと。正直ストーリーにも設定にも必然性を感じられませんでした。例えば、「どこそこに村がある。」なぜ村ができたのか?どういう産業を中心としているのか?商売は発達しているのか?村にいる人たちはどういう種族なのか?村の政治はどのように運営されているのか?これらの問いにただ答えるだけではなく、それらが相互にどう関連しているかを考えるのが、物語に必然性を与えるということだと思います。特に、「冒険」なり「戦闘」なりさせたいのならば、「普通の人はそんな危ないことはしない」という問いに答えられなければダメだと思います。なぜ彼らは冒険しなければいけないのか?なぜ彼らはパーティーを組まなければならなかったのか?それを「そういうものだから」と流し、表面上の「ファンタジー」要素だけを楽しむのは僕は納得できませんね。「剣と魔法」が出てくればファンタジーとか、そんなわけないやろと。
違和感というか、引っ掛かりを感じた部分もあります。敵のキャラクター、例えばゴブリンが喋る(ようにGMが演出する)んです。そうすると僕は戦うのではなく話し合いをしたいと感じます。喋れるというのは最低限の知性があって、コミュニケーション能力も備えているということですから。ファンタジーというと敵をバタバタ倒していく、みたいなイメージがあるのかもしれませんが、「敵だから」という理由で殺していいはずがないと思うのです。ファンタジーの原典と言われる指輪物語では、弱いものに対するいたわりというか、「オークだから」「ゴブリンだから」みたいな理由だけで殺してしまう場面はあまり無いと思います。ガンダルフはビルボの不殺の精神を褒め称えているわけですし。ここらへんのテーマは「undertale」とかでも追求されていますね。
今回TRPGをやってみて、「僕ならこうしたい」みたいな思いがたくさんあったので、次は僕もGMをやってみたいと思いますね。


今回は車での移動でしたが、お盆の季節ということもあり渋滞に巻き込まれてしまって移動に時間と体力を持っていかれたのが残念だったと思います。
いつも友達と旅行に行っていて思うのが、自分は集団行動が向いていないということです。特に旅行中は同じ部屋で生活の大部分を共有するので、いろいろ気を使ってしまってとても疲れます。
ただ、一人旅をしたいかというとそうではない。僕がやっていて楽しいと思うことはゲームしかりお酒しかり誰かと一緒に時間を過ごすということに関係していて、ただ一人旅をしてもあまり楽しめないと思います。
それでは。