正しいプレイとは

こんにちは、ライオウです。

今日は、プレイにおける「正しさ」について、自分なりに思うところを書いてみたいと思います。

まず、MTGに限らないゲームのプレイにおいて、「正しい」という概念は存在するのか、存在するとしたらそれは何によって定義されているのかを考えたいと思います。

僕の意見としては、プレイに正しさはあると信じています。ただし、正しさには2種類あるとも考えています。このことについては後述します。

なぜ、プレイに正しさはあるのか。その理由はゲームに一定のルールがあるからだと僕は考えています。プレイするたびにルールが変わるなんてことが無い限り、プレイとプレイした結果には一定の相関性があります。プレイしている人がある一定の結果を常に目的にしている、言い方を変えれば常に勝利を目指しているならば、目的と結果、及び結果の原因となったプレイを検討することで、「正しい」プレイと「間違った」プレイを区分できます。

ではプレイの正しさは何によって定義されているのでしょうか。

これまでの話の流れからいれば、それはゲームの結果によって定義されていると考えるのが自然です。しかし僕はそうではないと考えます。その理由は、プレイとプレイした結果には一定の相関性はあっても、100パーセントの相関があるわけではないからです。よりシンプルに言うと、どのような選択肢をとっても負けてしまった、ということがありえるからです。

ではプレイの正しさは何によって定義されるか?僕は、「プレイの一貫性」によって定義されると思います。噛み砕いて言えば、自分が前に指した手を悪手にしないということです。

僕は東北の出身なので、東北楽天ゴールデンイーグルズのファンなのですが、2013年の日本シリーズ楽天対巨人の最終戦の9回に、楽天側がリードしている場面で前日登板した本来は先発投手である田中将大選手がリリーフし、巨人打線を抑えて華々しく優勝を飾ったという事がありました。さて、当時の楽天星野監督の田中を登板させるという判断は正しかったのでしょうか?

いろいろなご意見があると思いますが、議論の前提として、当時の楽天のリードは絶対安全というほどでは無かったことと、田中選手がいくら日本野球界が誇る名選手であるとはいえ、前日の登板のあと、日本一を決めるゲームの9回というプレッシャーのかかる場面で、しかも慣れないリリーフという役割であったという事は踏まえなければいけないと思います。

しかしこの件については、僕は星野監督の判断は100パーセント正しかったと信じています。なぜならば、このような場面で田中を登板させるような星野監督だからこそ、チーム一丸となってここまで戦ってこれたのではないかと考えるからです。このゲームの結果に限れば決してよいとは言えない選択だったのかもしれませんが、星野監督のこれまでとってきた采配との一貫性という意味でみれば、当然の一着であり、ゆえに「正しい」と判断できるわけです。

すこし長くなってしまったので、2種類の正しさについては次回書きます。

それでは~